佐々木漣 ブログ 漣の残響

闇の中に詩を投げろ

シャッター街

かすかに瞬いているアーケードの光

鈍色の月が示す

追憶とはわずかな破壊であり

安穏とは常に不安に挟まれてきた

死にそこない

 

誰も使わない公衆トイレの便器に頭を入れて

溺れ死んだ、クリーニング屋の店主

私はその財布を盗んだ

タマゴをひとつ買い求めるために

 

貨幣経済を信用するのは何故だろう?

いつ教わったのか、身につけたのか

答えが出るまで、

考える時間はそれほど残されていない

締め切った、昔の洗濯板のようなシャッター

それが転移していく

一度滅んだ電飾はそれきりだ

路上詩人が真夜中に吠えている

ランボーの詩集を広げ

 

きっとつぶれた古本屋で

三十円で売られていた

何度も嫁に行った

何度、縁を切られた?

その度に香りが増す

 

生と性とが近いのは、

みっともない生き方が快楽に値するからか?

何十年も前、

数学の試験で探求した生きる意味

あの答えはなんだったか?

結局、生きることは数字化されたのか?

だとしたら私は過去に追い抜かれて赤字だ

 

時間の観念が崩れた砂の時計

父親に、生きてくれと願うことが、

これほど酷薄だとは

もう虫の息だ

最後のシャッターを降ろしたとき、

自分を恥じた

世界中で私だけがここにいる

そう感じた

 

溺れる以外にやることがない

皮膚の下に名前のない蟲が走っている

躰をくねらせ移動する感触

刺しても刺しても死なない諦めの数々

 

売れ残った日本がここにはある

酒に溺れるだけの夜

餓死した鼠に蠅がたかっている

腐臭が生ぬるい風にのって

落書きさえ劣化した

シャッター街を抜けていく

 

気づかれないように、死なないように、幸福であるように

夜の横断歩道を駆けて渡る

声を出す間もなく視界から消えた猫の様な手

ありふれたアスファルトが、トリミングされ

大手を振ってやってくる一人分の空白

右折する車に巻き込まれないよう

エアバッグを備えるべきは、

歩行者の方なのかもしれない

 

罵るのはいつも広げすぎた自由の方で

曲がりきれないカーブで横転した

森の中に逃亡した何者でもない顔の集合体

そこに祈る相手などいないだろう

懺悔にも圏外がある

若い男が青白い言い訳を持って出頭した

死にきれなかった、と大抵は言う

 

怒りがないかと問われれば、

傷だらけの嘘になる

淋しくないかと訊かれたら、

宙に浮いたままになる

死なないように、笑ってきた

ずっとずっと笑ってきた

原罪のネガを持ち歩く私は、

氷山の一角だ

被告人が立ち上がる

判決が言い渡される

沈黙が私を通り抜けた

 

《他人は諦めて前を見ろというが、

なぜ俯いて歩いてはいけないのか?

獰猛さを知らず、刮目した事もない正義》

 

裁判所で捨て鉢を拾った

朝と夜と昼と夢とを、破り捨てた場所で、

私だけの原理がざわつく

安寧とともに私も、

犯罪者になりたい

 

死んだ魚の目を土にして

美しく艶やかに、花が咲くことを信じる

誰でも嬉しいだろう運命と溺れ死ぬことは

気づかれないように、

死なないように、

幸福であるように、

私はこの仕事の準備をする

誠よ、君が存命なら

化け文字の法律など知らずにすんだろう

 

今宵、捨て鉢で育てたナイフを懐に忍ばせ

新月を見上げてそっと宣戦布告する

やって来た粛清の波

足首から誘う土用の波

中身のない主役はもう終わりだ

さあ、神様ごっこを始めようじゃないか

あの子の好きだった、

かごめの唄を唄って

もしも死にたくなってしまったら

もしも死にたくなってしまったら、
僕を起こしにおいで。
深い夜や、盲のような霧の時、
サイレント映画について長いお話をしよう。
暖炉のある部屋で、掌で影を作って再現しよう。
短編小説家の、ひと時の寸劇。
誰も死なず、誰も損なわれない物語を、毛布のように君の肩に掛ける。
すぐには暖まらないかもしれない。
君を暖めるのは君自身の体温だから。
膝を抱えてごらん。
長く息を吸って、吐いて。
スペアミントを入れた熱いミルクを一口飲んでごらん。
サウンドトラックが必要なら、書棚を調べてみて。
少ないけれど、同じような思いがそこには込められているから。
オルガンと雪の降る音で作られた小節。
胸に手をあてて、そっと呼吸を合わせてみて。
もしできるなら、君の話も聞かせて欲しい。
昔の話だっていい。
あわい初恋や、初めて人を殴った時のこと。
痛みを覚えて、優しさを知った時のこと。
何だか作り話みたいだと、
大仰すぎやしないかと、
自嘲した君の微笑みは、
とても愛くるしい。
時計の針を気にしないで、
時間に意味を持たせることはないよ。
それはただの時間だし、
それ以上のものじゃないから。
夢や希望は瓦解したと君は言う。
ジェンガのようにあっさりと。
やり直しがきかないことだってある。
でも、やり直しちゃいけないわけじゃない。
たとえ死ぬ間際だとしても。
君がここに残していけるものは必ずある。
心の内に投影した、夢のシルエット。
彼らとのダンス。
次の日も、その次の日もそれは続いていく。

お父さん

立ち飲み屋でお父さんは死んだんだ

お母さんが「お父さん、お父さん」と叫んで

僕と妹も「お父さん、お父さん」と叫んだ

僕たちはお父さんの足を引っ張って家まで連れて行き、

合掌してから、その身体をすべて平らげた

「これが供養なんだよ」とお母さんは鼻水も一緒に、

たまっていた精液さえ飲み干したのだ。

あなたの耳に届きますように

これは自殺ではありません
ただの出来事
廃棄物を処理しただけ
それを燃やして、海にまいてください
私は地球の羊水に還っていくだけです
もう、余計な心配はいらないし
もう、余計な病名は必要ない
望まれて生まれ、望まれて死んでいく
矛盾が、
楽しげに踊りながら
底へ底へと沈んでいく
それが名を捨て去った私の、生来の姿です

つぼみが少しずつ開花する風の便り
それが私です
温暖な季節に釣れる魚
それが私です
爆ぜる栗に、年甲斐もなくはしゃぐ
それが私です
肌切れる冬の、鱈の鍋を
私の知っている人たちと食べてください
その夜は、愛し合ってください
ただ、ただ、たがいの身体を温めるために
その夜は、愛し合ってください
あらゆる比喩が
理由のない鳴き声を握りしめながら
また生まれてくるでしょう
涙をぬぐってくれる人によって

あぶくがうかんでいく
あぶくがゆらゆらうかんでいく
こどもなのか、おとななのか
ともだちなのか、こいびとなのか
だれもしらないあぶくが、うかんでいく
いつかきっと、わらいごえになって
とおいさざなみのおとが
あなたのみみにとどきますように

空想癖の終焉で

生きていくことに妥協を覚えた心臓は時々、
握りつぶされたような眠りに、落ちる
最初は一秒、次は二秒
影は助走のように長くなる
どこまで跳ぶのか、行くのか
自死の発作が自らの中で目覚め、
息ができないと叫ぶ

歩んだ足跡たちはどこへ消えたのだろう
未来は救済でない、といつ知ったろう
正しさだけでは生きてこれなかった
読み書きができない私は、国益のため
何度でも捨てられていく
そして何かを拾うように、空巣を繰り返した
憧れという疎ましさを頭の中で、何度も殺した
つり橋で踏み外した失敗は、
頑なまでに人生の失敗となる

今、床を磨くことを仕事にしている
品川のビルで夜九時から、朝の五時まで
あなたの革靴の裏側が、反射するほどの拘りを持って
仕事に良いも悪いもないはずなのに、
誰かがカースト制度を導入する
「こんな自分は……」と
一人描いた空想に
埋没していく人の足を私は見てきた
音が少し擦れて聞こえる
知らない擬態語がざらついて聞こえる
辞表の代わりに、遺書を書いた
それでも一日を勤め上げる
黒いと言われている職場で、
汚れない方がおかしい

「またどこかに忍び込みたい」
睡眠導入剤
空想癖の終焉で弄びながら
握りつぶされたような孤立に全裸で浸かる
湯が凍っていく。罰なのだろう

ふっと、飛び出した真昼の国道で 
男は祈る間もなく、人をやめた
美辞麗句も箴言も、本物の絶望は救えない
脳がぐったりとその呼吸をやめる
安らかに音もなく

セルフィー

父親が十七歳で初体験したフィヨルドは、
この世のものだったのだろうか?
心の中で固くなったパドルを握り、
その美しい迷路に、
ゆっくりと燕下するように入っていった
古くから伝えられてきた
聖別された熱量で共有する
互いの痛みと悦楽
ふっ、と漏れる水の声が
しん、と響く明け方の精霊に
時が来たことを教えられた

そして、産まれた
つるんと滑り落ちた豆が尻を叩かれ
おぎゃあ、と泣いた
幸福と不幸のバランスを
悟っていたかのように
おぎゃあ、と泣いた

よく晴れた春の草原で、
屈折した体を抱擁し、ゆっくりと、
ゆっくりと、揺すってくれる父
あの子は片端だという噂話を
背中で守り、
あてられた紙くずを折り曲げて、
一羽の鶴にした
羽ばたきが、
色彩の風に乗った

母は夕餉の準備に追われている
食事の支度ほど敬虔な行いはない
愛には表面張力があるから、
スプーンからこぼれ落ちることはない
食卓の風景
毎日が救済だった

十七歳で逝く僕を
全力で体を揺すり止めようとしながら
「もう、戦わなくていいよ」と
そこにいる全員が確かに聞いた
立っている人が崩れた

パドルの音が、
フィヨルドの奥へと戻っていく
誰も乗っていないが
吐き出される白い息が空気に混じる
去っていくのか帰るのか、誰も知らない

父が、
いつものひだまりをつくる
人はただの体温なのかもしれない
でも、それ以外何が必要だろう?
セルフィーで三人の写真を撮る
何度も、
何度も、
何度も撮る
誰も止めてはならない
起こらない奇跡が起こったかのように
するために
何度でも
何度でも
その間、彼らは永久に三人でいられるのだ