佐々木漣 ブログ 漣の残響

闇の中に詩を投げろ

セルフィー

父親が十七歳で初体験したフィヨルドは、
この世のものだったのだろうか?
心の中で固くなったパドルを握り、
その美しい迷路に、
ゆっくりと燕下するように入っていった
古くから伝えられてきた
聖別された熱量で共有する
互いの痛みと悦楽
ふっ、と漏れる水の声が
しん、と響く明け方の精霊に
時が来たことを教えられた

そして、産まれた
つるんと滑り落ちた豆が尻を叩かれ
おぎゃあ、と泣いた
幸福と不幸のバランスを
悟っていたかのように
おぎゃあ、と泣いた

よく晴れた春の草原で、
屈折した体を抱擁し、ゆっくりと、
ゆっくりと、揺すってくれる父
あの子は片端だという噂話を
背中で守り、
あてられた紙くずを折り曲げて、
一羽の鶴にした
羽ばたきが、
色彩の風に乗った

母は夕餉の準備に追われている
食事の支度ほど敬虔な行いはない
愛には表面張力があるから、
スプーンからこぼれ落ちることはない
食卓の風景
毎日が救済だった

十七歳で逝く僕を
全力で体を揺すり止めようとしながら
「もう、戦わなくていいよ」と
そこにいる全員が確かに聞いた
立っている人が崩れた

パドルの音が、
フィヨルドの奥へと戻っていく
誰も乗っていないが
吐き出される白い息が空気に混じる
去っていくのか帰るのか、誰も知らない

父が、
いつものひだまりをつくる
人はただの体温なのかもしれない
でも、それ以外何が必要だろう?
セルフィーで三人の写真を撮る
何度も、
何度も、
何度も撮る
誰も止めてはならない
起こらない奇跡が起こったかのように
するために
何度でも
何度でも
その間、彼らは永久に三人でいられるのだ