佐々木漣 ブログ 漣の残響

闇の中に詩を投げろ

即興死す

 枯れ果てた早朝の空気の中。過呼吸の怒りに頼って、アンガーのハンマーで叩き潰そうとした貴方の目が止めた、「私」という肥大した主語の塊。毎晩、射精した血で黒すぎる経血のような精液の残り香が貴方に生を贈っていた。晩冬の風が寄せて引く波を夜の港に降ろす怒りを錆びだらけの鉄の錨に交換した。沈んでいく無駄な即興死の群れ。バイバイ、GO BY。貴方の好んだうしおは血の味しか含んでないこと、そのことがまことの意味性のありようで、時ばかり渦巻くだけで、尖ってはならない。貴方は毎晩、稲妻の驕るしじまに落ちることを恐れていた。気圧で一人、ただ狂うことさえ捨てなければならず、きっかり、午前一時から始まる発作は海底の砂を握るより無駄なのか? 私は腹を刺し、斬首したい沢山の文字を堆積してきたはずなのに、刮目した目に書かれた遺書を何通も宛先なく送る分裂する貴方の自己愛が作ったはずのものの影を、いつも薄くて触れないでいた。間に合わない! 肉体の痛みが逃げないように、麻薬で必死に手錠する。

 死亡診断書は家庭の国境を消して消え、着信音が着地する場所を忘れていくガラケー。どのようにカルテを整理しようと最期はデジタル化できないのだから、焼きすぎた思ったより太い骨に、看取った喪失感に、最期の青い花束を持たせよう。私は生の後悔を何度も買った。鋏を入れたクレジットカードで。不死は死そのものであるから年は誰でもとりたくはなく、壮年という発音だけで壮年が砂利のように埋め立てられていく医学用語の出る港。嫌っていた大きすぎるSHIPの切符をもいで処理したはずなのに、未だ死にきれない映像は重い煙として、十三階から飛び降りたギリギリの理性。残された。それは自殺者のように今もって進捗している。どこかで再会するのか? 失った名を辺土のような病として、貴方だけのものにした貴方と。腐った林檎を齧り、私の妄想の膨張には終わりがない。「俺」という虐殺は「私」として活版印刷のように細胞を日々破滅させていき、頭痛しか起こさない厄介者の赤い海水を点滴しようか。貴方が溺れていたバッカスの水。そこを私も泳ごうか。

 自分で釣った魚の命を鋭い包丁でさばきながらも、背後から迫りくる暮らしていけない真実が、先に潰れた生活を黒い墨で追い詰める。明かされた残りものの少なさ。足りない全ての生理反応の、業の密室的愉快さをわかってもらえない異人として暴露していた、しらじらとした天井は、何故崩れなかったのだろう?

 さあ、今こそ発光させよう。午前九時に逝くまでの自分をかけた発光ダイオードとしての最期のサインとして。私は貴方が息を引き取る時にたった一度だけ交通整理をした。この唇と両手の圧力で。切れた「息」とその「子」の為に。ありがとう。激痛の走る心臓、確かに貰いました。命は大切ではないと知り、即興がただこの時を持って、死んだのです。