佐々木漣 ブログ 漣の残響

闇の中に詩を投げろ

独居

萎れた女を看取った朝日が、やけに眩しく感じる

人であろうとした最後の自由を叫ぶ痛みが

砂を被ったガラス戸を突き抜けて、皮膚を直接刺している

檸檬の棘が皮下から突き出すあの感覚

一月だというのに室内は暑く、額に大量の汗をかいている

指先から滴り落ちるほど、内包する熱の暴発が生じ

残酷だと呼ばれていた死が、何故か白色の救いに見える

つい、一時間前まで呻いていた口は、固く閉ざされ

何もかもを内側へ固めていく無人性が逆光を儚くし

青い唇は、さらに変色していく

 

どんなことも共有できるものと思い込んでいた、若い頃

背を向け始めた中年期。そして、子どもたちの死。

速い流れに捉えられ、川で同時に二人が溺れ、

どんなに泳いでも手の届かない命となった

「あなたが死ぬべきだったのよ」と女は葬儀の後に渇いて、

命の水だから、とウォトカに溺れるようになった

私は仕事に身を沈め、メスを握る手に一層の正確性を求めた

外科医なのだ、私は

にもかかわらず、あの時

簡単な救護措置さえ行えず、頑なな檸檬のように震えていた

ただ、頼りなく、ぶるぶると

何度再生したか知れない傲慢さが

自己の中で矛盾し、微増していく自家中毒

 

女が私を刺したのは、それから何十年目だろう?

冷たい雨の叩きつけていた夜半の黒いアスファルトを、

何故かはっきり覚えている

女はよく研いだ牛刀で私の背中を、柄まで深く刺した

痛いとも、まずいとも感じず

左の腎臓か――。助かる。

そんな想念が、医学的事実が、

神経を走り脳に伝えるだけだった

私は女が崩れ落ちるのを、瞬きもせず、見下していた

「のっぺらぼう」と大声を発し、女は意識を失った

私は自室の鏡を覗き込みながら、裁縫道具で自分だけを縫い

冷凍庫で冷やしている女のウォトカを一杯だけ飲み干した

とても冷えていて、傷口から滲み出るような気がした

 

くも膜下出血だとは微塵も気付かず

錆び切った関係の中で、女はもう息を引き取る寸前だった

初めてのフラッシュバックが訪れ

私はあの川に佇んでいた。向うに黄泉がある、あの川に

混乱から生じた3D画像のように、自らが具体化されていた

私もまた過去の住人となり、忘却の復讐に遭遇したのだ

何もできない人間、とあなたは笑うだろう

女は辛うじて一命をとりとめたが

それは血を分けた子どもたちが届けた、

不遇という慈悲に満ちた導きでしかなかった

六千メートル以上ある人の海溝をより深く掘削する

ふさわしい権限を有していた

 

「妻」を庭で焼きながら

佇立したままリビングでその光景をじっと見つめていた

法による罪人と、人間としての罪人

それを隔てる白線は誰がひくのだろう?

飲み込まれたならば、独りでしか出てこられない、

出口のないホテルに泊っていた

子どもたちの納骨をした後、二人で薄汚いホテルに入った

避妊もせず、それぞれが自分を不埒に枯らせるため

あれが最後の身体だった。いや、誰も抱いてはいないのだ

ぬけがらを互いにかさっ、と握り潰しただけ

それが、今、ぱちぱちとはじけているに過ぎない

 

味のしないインスタントコーヒーを飲み終えて椅子に座った

天井から一匹の蜘蛛がツーっと降りてきた。細い絹糸で。

ひとしきりその赤黒い複眼で周囲を認識すると

エアコンの微風に吹かれるように転がっていった

 

独居だったそれぞれの心

今日からは身体もそれを伴にするのだ

埃だらけのこの家が、すっかり壊れてしまうまで

男は掃除など、決してしない