佐々木漣 ブログ 漣の残響

闇の中に詩を投げろ

もしも死にたくなってしまったら

もしも死にたくなってしまったら、
僕を起こしにおいで。
深い夜や、盲のような霧の時、
サイレント映画について長いお話をしよう。
暖炉のある部屋で、掌で影を作って再現しよう。
短編小説家の、ひと時の寸劇。
誰も死なず、誰も損なわれない物語を、毛布のように君の肩に掛ける。
すぐには暖まらないかもしれない。
君を暖めるのは君自身の体温だから。
膝を抱えてごらん。
長く息を吸って、吐いて。
スペアミントを入れた熱いミルクを一口飲んでごらん。
サウンドトラックが必要なら、書棚を調べてみて。
少ないけれど、同じような思いがそこには込められているから。
オルガンと雪の降る音で作られた小節。
胸に手をあてて、そっと呼吸を合わせてみて。
もしできるなら、君の話も聞かせて欲しい。
昔の話だっていい。
あわい初恋や、初めて人を殴った時のこと。
痛みを覚えて、優しさを知った時のこと。
何だか作り話みたいだと、
大仰すぎやしないかと、
自嘲した君の微笑みは、
とても愛くるしい。
時計の針を気にしないで、
時間に意味を持たせることはないよ。
それはただの時間だし、
それ以上のものじゃないから。
夢や希望は瓦解したと君は言う。
ジェンガのようにあっさりと。
やり直しがきかないことだってある。
でも、やり直しちゃいけないわけじゃない。
たとえ死ぬ間際だとしても。
君がここに残していけるものは必ずある。
心の内に投影した、夢のシルエット。
彼らとのダンス。
次の日も、その次の日もそれは続いていく。

お父さん

立ち飲み屋でお父さんは死んだんだ

お母さんが「お父さん、お父さん」と叫んで

僕と妹も「お父さん、お父さん」と叫んだ

僕たちはお父さんの足を引っ張って家まで連れて行き、

合掌してから、その身体をすべて平らげた

「これが供養なんだよ」とお母さんは鼻水も一緒に、

たまっていた精液さえ飲み干したのだ。

あなたの耳に届きますように

これは自殺ではありません
ただの出来事
廃棄物を処理しただけ
それを燃やして、海にまいてください
私は地球の羊水に還っていくだけです
もう、余計な心配はいらないし
もう、余計な病名は必要ない
望まれて生まれ、望まれて死んでいく
矛盾が、
楽しげに踊りながら
底へ底へと沈んでいく
それが名を捨て去った私の、生来の姿です

つぼみが少しずつ開花する風の便り
それが私です
温暖な季節に釣れる魚
それが私です
爆ぜる栗に、年甲斐もなくはしゃぐ
それが私です
肌切れる冬の、鱈の鍋を
私の知っている人たちと食べてください
その夜は、愛し合ってください
ただ、ただ、たがいの身体を温めるために
その夜は、愛し合ってください
あらゆる比喩が
理由のない鳴き声を握りしめながら
また生まれてくるでしょう
涙をぬぐってくれる人によって

あぶくがうかんでいく
あぶくがゆらゆらうかんでいく
こどもなのか、おとななのか
ともだちなのか、こいびとなのか
だれもしらないあぶくが、うかんでいく
いつかきっと、わらいごえになって
とおいさざなみのおとが
あなたのみみにとどきますように

空想癖の終焉で

生きていくことに妥協を覚えた心臓は時々、
握りつぶされたような眠りに、落ちる
最初は一秒、次は二秒
影は助走のように長くなる
どこまで跳ぶのか、行くのか
自死の発作が自らの中で目覚め、
息ができないと叫ぶ

歩んだ足跡たちはどこへ消えたのだろう
未来は救済でない、といつ知ったろう
正しさだけでは生きてこれなかった
読み書きができない私は、国益のため
何度でも捨てられていく
そして何かを拾うように、空巣を繰り返した
憧れという疎ましさを頭の中で、何度も殺した
つり橋で踏み外した失敗は、
頑なまでに人生の失敗となる

今、床を磨くことを仕事にしている
品川のビルで夜九時から、朝の五時まで
あなたの革靴の裏側が、反射するほどの拘りを持って
仕事に良いも悪いもないはずなのに、
誰かがカースト制度を導入する
「こんな自分は……」と
一人描いた空想に
埋没していく人の足を私は見てきた
音が少し擦れて聞こえる
知らない擬態語がざらついて聞こえる
辞表の代わりに、遺書を書いた
それでも一日を勤め上げる
黒いと言われている職場で、
汚れない方がおかしい

「またどこかに忍び込みたい」
睡眠導入剤
空想癖の終焉で弄びながら
握りつぶされたような孤立に全裸で浸かる
湯が凍っていく。罰なのだろう

ふっと、飛び出した真昼の国道で 
男は祈る間もなく、人をやめた
美辞麗句も箴言も、本物の絶望は救えない
脳がぐったりとその呼吸をやめる
安らかに音もなく

セルフィー

父親が十七歳で初体験したフィヨルドは、
この世のものだったのだろうか?
心の中で固くなったパドルを握り、
その美しい迷路に、
ゆっくりと燕下するように入っていった
古くから伝えられてきた
聖別された熱量で共有する
互いの痛みと悦楽
ふっ、と漏れる水の声が
しん、と響く明け方の精霊に
時が来たことを教えられた

そして、産まれた
つるんと滑り落ちた豆が尻を叩かれ
おぎゃあ、と泣いた
幸福と不幸のバランスを
悟っていたかのように
おぎゃあ、と泣いた

よく晴れた春の草原で、
屈折した体を抱擁し、ゆっくりと、
ゆっくりと、揺すってくれる父
あの子は片端だという噂話を
背中で守り、
あてられた紙くずを折り曲げて、
一羽の鶴にした
羽ばたきが、
色彩の風に乗った

母は夕餉の準備に追われている
食事の支度ほど敬虔な行いはない
愛には表面張力があるから、
スプーンからこぼれ落ちることはない
食卓の風景
毎日が救済だった

十七歳で逝く僕を
全力で体を揺すり止めようとしながら
「もう、戦わなくていいよ」と
そこにいる全員が確かに聞いた
立っている人が崩れた

パドルの音が、
フィヨルドの奥へと戻っていく
誰も乗っていないが
吐き出される白い息が空気に混じる
去っていくのか帰るのか、誰も知らない

父が、
いつものひだまりをつくる
人はただの体温なのかもしれない
でも、それ以外何が必要だろう?
セルフィーで三人の写真を撮る
何度も、
何度も、
何度も撮る
誰も止めてはならない
起こらない奇跡が起こったかのように
するために
何度でも
何度でも
その間、彼らは永久に三人でいられるのだ

 

逆光

八月の凍てつく光が
今日も人を酷暑にする
人間の温暖化は着実に進んでおり、
いつ発火してもおかしくない状況で、
侮辱ほど簡単な起爆装置はない

自ら地雷を踏んだジャーナリストが
身を賭して叫んでいる
子どもたちに民の種を託せるのか
立ち尽くす以外に、道はないのか

人間の凋落
それはもう始まっていて
鎖を外された者は早速、
金色のピスをする
その姿、犬そのものだ
倫理の潔白は蒸発し続け、
上空へ立ち昇っていく
大量の漂白剤が、
季節はずれの雪となって
有色人種に降る

人々は疑心暗鬼に疲れ果てた
怒号が地鳴りになって、大きな家が揺れている

斬首された寛容さが足元にころんと転がり
スプリンクラーのように
鮮血を噴射する
三歩、歩いたという
骸こそが生き、
ねっとりと発情していて
真夜中に翻る国旗がいよいよ艶かしい

戦前にとって戦後は通過儀礼で、
濁った精液が火のように強く射精され、
燃える痛みが
悪意を持って幸甚を妊娠させた
だが、孕んだ子は一向に出てくる気配がない
耳を澄まさずとも聞こえるヘイトスピーチ
子宮の中でテロリズムを実行している

破けた空から降ってくる「第九」歓喜
生命は逆行しない、逆光するだけだ
人間にとって、最善とは思われない姿で
八月の凍てつく光は、
今日も代わり映えしない

第一回よるもく舎■合評企画 佐々木漣『漂泊の虎』

〇よるもく相互合評会とは??

詩舎夜の目撃者(通称よるもく舎)で、詩を相互に発表しあう場を作ろうというもの。
毎回作品を相互に批評、感想を出して発表しちゃおうと勝手に考えた、魚野真美 詩舎 夜の目撃者」における企画です。今回は私の作品『漂泊の虎』です。

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漂泊の虎

佐々木漣

 

すっかり朽ちた森の中で、独り彷徨う
昨日の太陽はもう昇ってはこない
永遠のような冬、欠けた月
風が枝を切り、
剣山のような凍土が下から体温をつらぬく
探しても探しても、
勝者の痕跡は見つからない
戦い、敗れ、失った
火炎のような瞳を
金色の縄張りを
残ったのは骸のような私のみ
やがて夢を見るように目を瞑れば、
今でも思い出せる
繁栄の歳月
木々の囀り
星霜の証
大鹿との格闘
猛々しい獣へ
森が称賛の唄を唄っていた

彼らとともに、滅びることもできる
あるいはそれが幸福なのかもしれない
ここで得たものはすべて、結局、ここで失われるのだ
皆、寂滅と土へ還った

これからどうすべきだろう?
沈黙よりも重い空腹の重さ
いまさら漂泊ができるだろうか?
汚れた爪、牙も折れ、
すっかり老いさらばえた
縄張りの中でしか生きてこなかった私は
一匹のカワズと一緒ではないか

とても恐れている
知らないと知っていることがあまりに多すぎるから
信じる根拠など、何処にもありはしない
しかしそこに、可能性がある限り
私が虎であり、まだこの身の内に、その強さが、残っているのなら
取り戻そう
自分の誇りを
授かったこの体の均斉を
再び出逢うだろう困難の恵みを

月を見上げ、
それから歩み始める
新雪の上を、音もなく
ずっと

 

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魚野真美さんからの批評/感想頂きました。

こちら