佐々木漣 ブログ 漣の残響

闇の中に詩を投げろ

馬を殺す

大切に育てた馬を殺処分した
真冬の、夜明け前
馬は自分の運命を知りながら、熱い息で
私の頬を舐めてくる
ここへきて、まだ甘えているのだ
私は抑えるものを抑えられないまま、
獣医のする仕事から目をそむけてしまう

銀行に騙され、
弄ばれた奈落の底
赤く染まった月だけが見ている
私は自らの手で信じることを失った
手放してわかる、婉曲のない手がしていた、
詩的な仕事。

錠剤をいくら飲んでも
もう、眠り方がわからない。
馬の瞳に映った
自分の瞳が忘れられない

それから見るようになった
壁に投影される裸体の男が、「信じろ!」と言う
汝の魂のある肉体を「信じろ!」と言う
私は割れた鏡に鏡を映して自分を見るが、
ばらばらの複眼が、血液の上を滑っている。
それは消費社会の苛烈な戦場の、
蠱惑としか思えない。
いくら手を洗っても、そのぬめりをとることができない

畏怖の中に隠していた
大量の遺言を誤飲して
背中を叩かれ吐き出したもの
それは大切に育てた自分の怒りだった
風に吹かれ宙に舞って消えたはずの怒りだった

怒りが、時に、快楽だと知っていた
自裁する方法ならばいくらでも知っていた
それでも「最後まで待て」、と裸体の男は言う
汝の魂のある肉体を信じろと言う
彼は私にブラントンを一杯手渡す
そのバーボンを一気にあおる

経験を積むほど、わからないことが増えていく
そんな重婚が、いつまで均衡を保っていられるのか
いつでも、捨てられる身の上話を男とした
私の眼球を、男は持ち去って行った

昼も夜も区別なく後悔はその濃度を濃くし
私は自分の無知が病を産むのを感じた
馬を潰したのがこの無知なのだと初めて嚥下した

嗚呼、ここは何処だろう
何をしているのかもうわからない
さんさんと、大地から雨が降っている
さかさの涙が降っている

もう裸体ではいられない男は、
信じろとは言えない
騙され
裏切られ
大切に育てた、うつつを殺したのは
ほかならぬ自分なのだから
私は自分の影の中に、入ることにした
人間こそがたやすい生き物なのだ

はるかな道のりを乗って行く。
最後に残された白馬の嘶きは、
丘を越えて消え去った。
夜明け前の、白い息と供に。